米、出口なき戦い 9・11から5年

 超大国の中枢を襲った9・11同時多発テロから5年。国際テロ組織アルカイダの拠点だったアフガニスタン攻撃を皮切りに始まった米国の「対テロ戦争」は今、イラクの泥沼の中で方向を見失いつつある。
アフガンではこの間、政権崩壊で弱体化したはずのイスラム原理主義勢力タリバーンが息を吹き返した。テロ組織の温床となる「失敗国家」はソマリアなどアフガン以外にも広がったままだ。米国の誤算はどこから生まれたのだろうかicon10 

この地域に住むタジク人勢力は、アフガン戦争で米軍に協力し、イスラム原理主義勢力の旧タリバーン政権を崩壊させた人々だ。ラウズさんは「米国が復興を助けてくれると信じた」という。
それから5年。近辺では工場のひとつも稼働しない。自宅は毎日停電する。収入は月6000アフガニ(約1万4000円)。家族8人の暮らしは厳しいままだ。「米国を支持する者などもういないよ」

アフガン南部ではタリバーン勢力が盛り返しつつある。5月以降、数百人で警察署を襲うなど攻撃が大規模化。7月にはヘルマンド州の二つの村を一時的に制圧した。
勢いを増すのは、隣国パキスタンから戦闘員の流入が続くからだ。潜伏する30代のタリバーン関係者は「国境警備は、わいろを渡せばどうにでもなる」と打ち明けた。
米軍と国際治安支援部隊(ISAF)は空爆と地上の両面作戦を続けるが、民間人とタリバーンの見分けは一層難しくなっている。

米国の対テロ活動は、無政府状態が15年間続くソマリアでも頓挫している。イスラム勢力を束ねる武装組織「イスラム法廷連合」が勢力を伸ばし、「急速にアフガン化している」(アラブ紙)とされる国だ。

米国は、国際テロ組織アルカイダの隠れ場と断定。今年に入り、法廷連合と対立する武装勢力に資金提供する形で対抗策に乗り出した。だが、数百人の死者を出した末、6月に首都を制したのは法廷連合だった。
戦乱に疲れた市民の間では法廷連合への支持が高まっている。首都でラジオ局に勤めるアリ・モハメドさんは「治安が回復し、静かな生活が戻った」と歓迎した。

英BBCによると、首都制圧後、米国は方針転換して法廷連合に交渉を呼びかけ、テロ容疑者の引き渡しを頼んだが、拒否されたという。
立法議会議長に就いたイスラム法学者のダヒール・アウェイス氏はAP通信に語った。「イスラムの教えに従うことを米国がテロ呼ばわりしても、我々には関係のないことだ」


アフガンで米国が直面した問題は次の3点にある。(1)民衆と兵士の区別のつかないゲリラ戦での軍事力の限界(2)戦後の治安・経済の荒廃と反米感情の高まり(3)周辺地域から注がれる反米闘争への支援の輪――それらはすべてイラクにもあてはまる現実だ。

ブッシュ米大統領は8月31日、イラクを「テロと自由の戦いの最前線」と呼んだが、イラクの武装組織からすれば「占領軍から自由を勝ち取る戦い」(スンニ派の指導者)だ。民衆は宗派対立の渦中にあっても、反米感情では一致している。
「米国が今、必死に立て直そうとしている社会の利害調整や秩序の枠組みは、すべて戦前に存在していたものだ。米軍自身が無計画な戦争でイラクを100年前の状態にしてしまった」と、ヨルダン大学戦略研究所のブレザット氏は言う。

そうした経過から浮かぶ結論は、軍事力偏重の対テロ戦の行き詰まりではないか。5年前、ブッシュ氏自身が打ち出した「外交、情報、司法、金融、軍事力の総力を動員する戦い」(01年9月の両院合同会議演説)は、外交や戦後処理の準備を後回しにする軍事先行の戦いに変わり、世界を遠ざけてしまった。

米政府は、対イスラエル闘争を続ける組織ヒズボラやハマスまでも、アルカイダと同列に「自由の敵」と規定した。中東から見れば、それは米国が普通の民衆を敵に回すことにも等しい。「ある者には『テロリスト』でも、別の者には『自由の戦士』に映る領域がある」(01年10月のパウエル前米国務長官の上院証言)との慎重な外交姿勢は2期目のブッシュ政権からはうかがえない。中東の対米失望感は、米国がこの夏、イスラエルによるレバノン攻撃を長らく黙認したことで決定的になってしまった。

この間、中央政府が機能不全または存在しないソマリアのような破綻(はたん)地域は一層の広がりを見せている。テロという「国境を越えた病理」(ライス米国務長官)に立ち向かうには、地球上の荒廃地をなくす地道な努力が必要だと誓い合った5年前の教訓は、もはや遠い昔話のようだ。

2006年09月03日02時00分 asahi.com
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あの悲惨な9.11のテロから丸5年が経とうとしている。先日映画のユナイティッド93を観にいきましたが、かなり気分が落ちました。あの日ハイジャックされた4機のうちの1っ機は目的地に到達できずに山林へ墜落した...
5年という月日が、人々の心を 思い出したくないこと→忘れてはいけないこと、という形で変化したのだろう。(5年という月日は、あのテロは実はアメリカ政府の陰謀だったのでは?という説まで作りあげてしまっている)
あの様な悲惨な事件は二度と起こしてはいけない。でもWTC後にフリーダムタワーの建設が決定、2011年には新たなNYのシンボルが建設される。
去年NYへ行ってから1年、あそこは異様な雰囲気が漂っていたのを思い出す。私だったらその後に建設されたビルで働きたいとは思いません。しかも、またそこはテロの標的にされてしまうのではと思うのは日本人だから?現地の人達は、新たなビルを建てることで、自分たちがテロに屈していない、負けてはいないという思いを表すのだと言う。

テロでの犠牲者の死を無駄にしてはいけない、アフガンで関係のない民間人を巻き込んではいけない、今後またどれだけの人達が出口無き戦いで犠牲になるのだろうか。。


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